ZARUSOBA

過度の自己意識

「花束みたいな恋をした」鑑賞後、胃痛で眠れん

「花束みたいな恋をした」見てきました。気温が上がって外出に託けて春服を着たい!と思ってたところに、Twitterで話題になってたので見に行きました。面白かった。ネタバレしかないのでこれから観る予定の人は注意!

 

!ネタバレある ネタバレしかない!

 

東京の『サブカル』に浸っている、もしくは浸りたがっている大学生、10代の理想と勢いだけで恋愛をして『青春』をやっちゃう感じ、別れる前後ですらそれを引きずってしまっている、みたいなのが微に入り細に入り丁寧に描写されていて、そのあまりの緻密さと意地の悪さに、胃痛で死ぬかと思いました。めちゃくちゃ面白かった。

開始20分でもうスクリーンの前に立って「もう!もうやめて!もう私見てらんない!!」って叫び出したかった。麦(菅田将暉)が「じゃんけんで紙が石に勝つってなんなんだ」と言ったり、絹(有村架純)が一度会ったことのある男に振り回されて天竺鼠のルミネ単独に行かなかったりする。そして出会った2人が趣味で意気投合、カラオケできのこ帝国を歌い出すのだ。もう!もうわかった!この2人がどういう人達なのかよくわかったから!「クロノスタシスって知ってる」じゃあないよ!知ってるよ!きのこ帝国くらい普段ロック聴かない私でも知ってるから!

 

まず、『サブカル好き』なんてこの世に居ないんだよ!メインカルチャーサブカルチャーはそう簡単に切り離せないから。インディーズアイドルが好きな人の大抵は乃木坂の新曲も聴いてる。古着が好きな人もH&MZARAで服を買う。だから色んなカルチャーの『サブカル』だけを集めて愛でている人たちの好きなカルチャーは、総じてそんなに『サブ』ではない。実際、2016年の時点で天竺鼠M-1の準決勝常連だし、きのこ帝国も宝石の国も今村夏子も、それぞれのジャンルに少しでも興味がある人はみんな好きだ。良いものはちゃんと評価されるに決まっている。

2人は『サブカル好き』だったけど本当に夢中になったカルチャーは無かったのかなと思ってしまう。だって2人はそもそも天竺鼠の単独に行かなかったという共通点で意気投合してしまっている。いや行けよ!好きなんだろ天竺鼠!!!

その後いろいろなカルチャーについて語り合っている描写もない。「良い」「わかる」「何か感じることがある」という曖昧なことしか2人の間にないのに、それで「価値観が合う人がいた!」と感動して恋愛を初めてしまう。2人はあくまで、邦ロックをよく聴いて、アイドルよりお笑いに興味があって、いつも何かしらの文庫本を読んでいて、無印のスニーカーを履いてる、そういう大学生でいるための記号としての天竺鼠

2人にとって、カルチャーはすごく記号的で、自分の位置を示すための何かとして消化されていくだけのものだった。そんな2人の様子が『サブカル好き』な人たちをクッキリ描いていて、こういう方法でカルチャーと関わってしまう自分がいないかと思うと胸が痛い。それこそ2016〜2019の東京の大学生だった人で、この映画に出てくる固有名詞と自分の体験が重なってることがあったら、もう自意識崩壊してめちゃくちゃになっちゃうだろうな、というぐらい。「この2人は『このへん』なのだ」とか、「お前らにもそういう部分があるんだぞ」もしくは「こういうやつら知ってるだろ、悪意があるだろ」と言われ続けている気持ち。胃痛。

そういうカルチャーの固有名詞の選び方が一個一個絶妙で、それが自分の胃に痛いので、麦や絹に「もうやめて!!!」と叫びたくなる。

 

カルチャーに限らず、『恋愛』をしたくて恋愛している大学生の感じ、それが就職して現実にすり減らされていく感じも鮮明で痛々しい。価値観が合う!運命だ!と恋愛を始めた2人が、価値観の違いで喧嘩すらできなくなっていくのが辛い。でもそりゃそう、2人は表面的な趣味の一致で「価値観が合う」と思っていただけで、ちゃんと自分たちの価値観のすり合わせをしてこなかった。分かり合えない部分があると分かっていないと深い人間関係って続かない。絹か麦のどちらかが1年早く就職して喧嘩できてたらまた違ったかもなとも思った。

何日もセックスしまくるシーン、二人暮らしを始めてベランダにウッドデッキを敷くシーンあたりはモラトリアム真っ最中の恋愛の『青春』をしたがるふたりの描き方の解像度の高さにも腹が立ちそうになる。その後のすれ違っていく2人もリアルで、別れる前、別れるそのとき、別れた後まで何一つうやむやにせずに描かれているのがすごい。別れる直前まで『青春』やりたがる感じを見せられるのにはキレそうになった。観覧車乗ってんじゃないよ!バックハグしてんじゃないよ!馬鹿!!!

そういうヌルッとした別れ方、人間関係ってこうだよね….と思わされる。オンリーワンでかけがえのない、なんてなくて、世の中のほとんどのことがありふれてるんだよな…。実際、麦がグーグルストリートビューに過去の2人が載っているのを見つける、という最後のシーンは、2人の日々がありふれてはいるが幸せだった恋愛として思い出になっていることを感じさせる、愛のある描写だった。

 

ドラマチックな恋愛とかではなくて、2人から距離をとった目線で、とても写実的に人間の良くないところを描いている。私が普段具体的に直視したくなくて避けている、自分や他人や人間関係の綺麗じゃない部分を、これでもかと見せてくる脚本。これを見て胃を痛くするのではなく、ファミレスでの別れのシーンで泣く人、自分の好きな『サブカル』の名前が出てきて嬉しい!と思う人、趣味があって素敵だなあと思う人、女性側・男性側のどちらかに強く共感する人がいるだろうし、そういう人がいることまで分かって作られている感じも意地が悪い。映画が終わった後、横の女の子二人組が泣いてるのも、斜め前のカップルの彼女が彼氏にもたれかかって余韻に浸っているのも、見てらんなかった。私の代わりに誰か叫びながら劇場内を走り回って欲しかった。自分の悪意を自覚させられて情緒をめちゃくちゃにされるいい映画でした。